神様はいるの?

2019年4月分

弟子

「人は感情の生きもの」と言われていますが先生の様に達観したお方には無縁の言葉でしょう?(笑い)

先生

とんでもない。私こそ知性を超えた感情の生きものだ。(笑い)動物はすべて好き嫌い、関係ないで決める。

弟子

動物はそうですね。人間は理性で感情を抑えて処理しようとしますが、なかなか上手くいかず悩みます。

先生

私は世捨て人だから、つまらないことで怒らないようにしているが、なかなかそうもいかない。それは私の修行が足りないからかと思っていたが、そうではないことに気が付いた。喜怒哀楽は自然な感情だ。それを抑えることは良くない。好き嫌い、そんなの関係ないが感情の世界だ。(笑い)それでいて矩を超えずが理想だろう。

弟子

難しい言葉ですので解説をします。中国の古典、論語に出てくる孔子の一節です。「七十にして心の欲する所に従えども矩をこえず」ですね。自分の思うがままに行っても、正道から外れないという意味です。

先生

何事も好き嫌いがあるのは当然だ。例えば食べ物に好き嫌いがあっても構わない。動物は偏食が当然。何でも食べるのはネズミか豚だろう。(笑い)学校給食で何でも食べろと強制指導するのは拷問になる。

弟子

そう思います。嫌いな食べ物を昼休みの時間一杯食べさせられるのは地獄です。それだけで学校に行きたくないです。また人に対しても好き嫌いがあります。嫌いな人とうまくいかないのは当然でしょうか?

先生

それは本能的なものだからある。嫌いな人を好きになることはできない。それは仕方がない。私は以前から皆さんに、出来るだけ人に好かれるようにしなさいと言い続けてきた。そして私が治療で使う念力は感情の賜物だ。(笑い)嫌いな人に使うこともできるが、悪い効果になってしまう。(笑い)何回も説明をしてきたが、ここで言う念力は皆さんがイメージしているものとは違う。他の人の念力は何かを拝んだり、気を集中して念力らしきものを出しているようだ。(笑い)それに対して私の念力は普通の状態で人と話していても笑っていても自然に出る。

弟子

そうなんですよね。ですから皆様は先生が最強の念力行者ということに全く気が付きません。優しい先生というイメージしかないでしよう。(笑い)そして平気で先生に失礼なことを言って罰が当たるのです。(笑い)さらに罰が当たったことにも死ぬまで気が付かないという悲しい運命です。

先生

貴女が治療所の壁に「先生をムッとさせてはいけません」と注意書きを貼ってくれているが、皆さんは「そんな人がいるのですか?」というおとぼけばかり。「あんただろ!」と突っ込みを入れたくなるのだ。(大笑い)

弟子

あたしは何度も罰が当たっているので先生の力が身に染みて分かります。(笑い)先生の治療は病院の治療、鍼灸、整体、気功とは全く違うものです。電話での問い合わせで「どんなことをされるのですか?]という質問が一番嫌です。(笑い)なぜなら先生の場合は治療法というものではなく、先生の気持ち次第ですから。(笑い)

先生

そうだな。貴女はそのことがよく分かっている。そのことが分からなくても私に頭を下げ、素直にお願いされる人は救われる。横着傲慢な態度、私より病院を信じている気持ちの人は救われない。(笑い)

弟子

来られている患者さんで観音堂に予約の電話をしたらもう軽くなったので、「もう行かんでもいいかと思いましたけど来ましたと」いう方が多いです。そこで来なければ後で倍返しになるのではと他人事ながら心配します。

先生

そうだな。「予約をしただけで軽くなりました。有難うございます」という感謝の気持ちが大事だ。

弟子

もう一つの不思議は「観音堂に近づくと軽くなりました。駐車場で車を降りたら楽に歩けるようになってました」

先生

それはみんな言われるな。(笑い)もっと言えば観音堂の前を通るだけで効果があるそうだ。さらに観音堂の近くに住みたいと。そこで私が一言。「夜は私がいないのでムダです」と。そのようなパワースポットとかいうあほな考えがあるが(笑い)場所には力はない。生きている私に力がある。仏像や神像に力はない。生きていた釈迦やキリストには力があった。亡くなった人には力がない。ただその人を思い出し、懐かしむことは意味がある。もう一つ単純なことだが人が好い感情をもてば、そこは天国になり、悪い感情をもてば地獄になる。

弟子

凄いお言葉ですね。心次第で天国も地獄も来ると。そこで先生は神様が存在すると考えておられますか?

先生

二つの答えがある。一つは科学的現実的に考えた場合は神は存在しない。二つ目は抽象的空想的に考えた場合は神は存在する。(笑い)そして世界中の神は罰を与えることが多く、たまに気が向いたら助けてくれる。(笑い)

弟子

何か分かり難い説明です。もっと分かり安く、具体的に話してください。

先生

一つ目は現実には神様はいない。お願いしてもムダだよということ。二つ目は神様を造ったのは人なのだから、その意味ではいるに決まっている。だから自分の都合のよいお願いばかりしても、うまく行くこともある。(笑い)

弟子

結局はいないということですか。先生の考えはキリストより釈迦に近く、死んだら無になる空になるのですね。そして死者の霊や死後の世界は人が空想して作ったもので、その人たちには、存在し大事にしているのだからそれでよいと言われています。ただ先生の話を読んで目が開いた方は今までとは違う人生になります。

先生

そうだな。人それぞれの考えがあり、その人の好きな様にすればよい。私は一切感知しない。ただ私にお願いをされる場合は、その人の神様は助けてくれないのだから、私に対し真摯な態度が必要だ。ただ助けてくれではどの神様も助けず逆に罰を与えるだろう。素直に頭を下げて改心した場合には、たまに奇跡が起きる。