思いやりの念力

2019年1月分

弟子

先生はよく「腰痛を治すも癌を治すも同じ」だと言われていますが、これはどういう意味でしょうか?

先生

どちらも同じような治療パターンになる。私の治療は腰痛でも癌でも生体エネルギーの調整で治療するわけだ。だから見た目は同じ様な治療になる。実体としては体の歪み直し、正しいパターンの神経情報の入力、東洋医学で言う五臓六腑の治療、オーラ&チャクラのエナジー補給などと言っても訳が分からんだろう。(笑い)

弟子

そうですね。皆様には何が何やら、不気味な感じでしょう。(笑い)説明をしても分かる方は少数です。でも一部でも分かった方は先生が人間ではないことに気が付き、先生に対する態度がコロッと変わります。(笑い)

先生

それが分からない人は私に生意気な口を利き、罰当たりとなる。(笑い)貴女はその例をよく見ているだろう。

弟子

私は観音堂に勤めて8年近くなりますが、先生の力には毎日驚いています。ただ治すだけではなく、態度が良くない方がまずいことになることを。(笑い)なかなか皆様には言いにくいですが先生には要注意です。(笑い)

先生

まあ怖がらなくてもよいが、失礼がないようにしたらよい。観音堂の治療は皆さんが見ているのとは違う所に秘密がある。私の治療は念力だ。念力は見えない。そして念力とは私の思いだ。私がどう思うかですべて決まる。

弟子

念力だけでやられているのが遠隔治療ですね。遠隔治療を依頼される方は先生を神様の様に思いお願いされるのです。それを毎日の様にどうしたこうしたとメールや電話をする方はダメです。御用聞きの神様はいません。(笑い)

先生

面白いことを言うね。(笑い)細かいことをごちゃごちゃ言わずに「お願いします。助けて下さい。」で十分なのだ。

弟子

遠隔治療をお願いされている方だけでなく、直接治療を受けてある方も同じです。病院の治療は薬が効きますが、先生の治療は先生の思いやりが効きます。先生から大事にされて思いやりの念力を受けられる様になりましょう。

先生

思いやりの念力とは良い言葉だ。ただし行いの正しい人しかこの恩恵は受けられぬ。それは世界共通の法則だ。釈迦もキリストも同じ考えだ。まず自分の行いをなるべく正しくする。そして他人のことを見るのだ。人を批判ばかりしてはダメだ。そしてもう一つ。困っている人を助けたいと思う人はまず自分が助かることだ。(笑い)

弟子

最後の言葉の意味がいまいち分かりませんが。自分が助かるとはどのようなことでしょうか?

先生

自分の行いを正し、幸せになることだ。以前話したように「生きるとは食べて寝て出す」だったな。(笑い)そうしないと真っ当な考えはできない。「食べて寝て出す」が正常であれば、まずは第一段階で幸せだ。

弟子

「幸せとは食べて寝て出す」ですね。自分が幸せになってから他の方のことを思いやるといいのですね。(笑い)

先生

私が念力を出す時も同じだ。まず私が快調で幸せな状態に入る。あたかも天国に居るような状態だ。(笑い)その後、相手にも天国に居るような念を送る。そうすると体の歪みが直り、心も解放されて自由で楽しい気分になる。

弟子

凄いですね。そういうことが起きていたとは今初めて知りました。(笑い)先生の念が相手の脳神経に作用して心も体も楽になるのですね。もうこれは治療の段階を超えて癒しです。先生の天国に入れない方が可哀想です。

先生

それは仕方がないことだ。「幸せとは欲張らないこと。諦めること。」だったな。生き方を改め再度出直すことだ。

弟子

ちょっと興味があるのですが、先生の所に来てある方で、顔を洗って出直した方がありますか?

先生

一人もいない。(笑い)それ程自分を変える、考えを改めるということは至難の技だ。その状態は私が治せるだろうと予測していても私との関係がうまくいかないと、「あんぽんたんの川流れ」で流れて行く。(笑い)そこで私は静かに思う。その状態は多分私しか治す人はいない。川を鮭や鯉のように、さかのぼることは残念ながら人にはできない。

弟子

運命ですね。先生がせっかく助けようとしていても素直になれず、毒を吐き、苦しみの川を流されて行く。

先生

それが人生だ。救われる人はラッキーだ。そして助かった人は生活を改めて元の木阿弥にならないように生きるのだ。今までの間違いに気が付き暮らしていけば、苦しみの少ない人生となるだろう。

弟子

人は生まれつきの体質に強い弱いがあると思いますが、どうしてでしょうか?

先生

それは先祖代々の遺伝的なものだ。先祖があるから今の自分がある。良くない遺伝があっても先祖を恨んではいけない。それなりにその状態から始めるのだ。欲張らず、有り難いと思う部分を見つけ大事に生きるのだ。

弟子

先生は休まず治療をされています。かれこれ50年も病院に縁がないそうですが、生命力が強いのでしょうか?

先生

私は体も気も弱い。(笑い)だからどうにか強くなろうとして来た。鉄棒をして、空手をして、ヨーガをして少しは強くなった。人生のことも色々考えて来た。そして「生きるとは食べて寝て出す。」「幸せとは欲張らないこと。諦めること。」という単純明快なことを悟った。(笑い)

弟子

その考えは限りなくお釈迦様に近いと思います。(笑い)そして先生の癒しはキリストに近いのです。

先生

それは限りなく、いいいとこ取りの話だ。(笑い)私は宗教家ではなく、どちらかというと科学者だ。(笑い)

弟子

現代に釈迦やキリストがいても通用しません。(笑い)先生のように人を思うだけで良くも悪くもでき、科学的に再現できる能力が必要です。でも先生は世の中を変えようと思われず、ただ高みの見物です。(笑い)

先生

そうだな。私は変に注目されず、静かに長く研究を続けて行きたい。毎日治療を通して面白い発見をする。そしてそれをすぐ実用化し治療に役立てる。この繰り返しであと30年は退屈せず楽しく過ごす。(笑い)