念力は私の想念が相手に反映すること

2013年7月分

弟子

先生は日頃「私に対して失礼な人は罰が当たる」と言われています。冗談と思ってましたが違うようですね。

先生

私はあまり冗談は言わぬ。(笑い)よいか観音堂念力の定義を考えて見なさい。念力とは思うこと也だ。思うこととは考える感じること。私が良くなれと思えば良い影響が行く。何だこの横着な奴はと思えば悪い影響が行く。後者は自然な現象であり、意識的に悪くしようと思わなくてもそうなってしまう。

弟子

先生の周りの人達を観察していると確かにその現象が頻発しています。そういう人達は自然に先生の下から離れて行きます。釈迦が言われた「縁なき衆生は度し難し」ですね。

先生

私がいくら言っても忠告を聞かない人は救いようがない。また私に対しての態度が悪い人は世界中どの神様からも嫌がられ罰が当たる。(笑い)神様から嫌がられる様な人は人間界でもトラブル多く、嫌われ不幸になる。

弟子

それは大事なことですね。人に好かれる、嫌がられない。人を押しのけたり横着なことをしない。車の運転にも性格が現れますね。先生は言われます。「私みたいな人ばかりだったら規則信号も要らぬ。法律も要らぬ」と。

先生

現代の社会を見て人間の段階になっている人はまだ少なく、前段階の人達が多い。早く人間になりなさ~い。

弟子

では現世で色々いやなことが起きるのはある程度仕方がないですね。先生の周りには人間が集まるので側にいれば大丈夫です。さて念力というのは人が菩薩の段階に達すると使える様になると言われましたね。

先生

仏教もその母体であるヨーガも修行を成就すればその人なりの念力が使える様になる。ただ成就者は稀だ。

弟子

先生はヨーガを修行ではなく楽しく続けて成就者になられた珍しい存在です。好きこそものの上手なれです。

先生

難行苦行は無意味だ。人に見せる誉められるためのスポーツ競技は邪道だ。ただただ好きで続けて名人になりなさい。何事も好きなことを続けていけばものになる。朝から晩まで死ぬまで休まず続けてみなさい。

弟子

それは~私にはなかなかできませんが、その境地に近づきたいと思います。(笑い)また念力の話に戻りますが、思うだけで出せるという念力を使われる場合、どんなイメージを持たれるのでしょうか?

先生

私が35年間現実界で治療してきたことをイメージの世界=仮想空間でする。それが思うだけという意味だ。

弟子

それでは35年間の経験情報がなければ先生と同じ念力は使えないことになります。

先生

当然だ。だから貴方も現実界での経験を積んでいけば私のようになれる可能性はある。そういう段階を経ない超能力者は要注意だ。超能力は人間界でのだまし。私の念力は人間界ではない菩薩界での日常茶飯。

弟子

以前「随分前から念力らしきものは使っていたが、念力という自覚はなく無意識だった」と話されてましたが、はっきり意識的に念力を使うようになられたのは何時からですか?

先生

意識的に使おうとしていたのは15年前位からだが、自由にコントロールできるようになったのはこの2年だ。

弟子

随分最近なのですね。確かにその頃から治療のはじめに2、3分の脚振り診断が始まりましたね。その診断でエネルギーのネガティブ&ポジティブ、メインのオーラ&チャクラ、12経絡の虚実、奇経のタイプ、どのつぼを使うか、仰向け、膝立て、伏臥、座位、起立でどれを使うと一番効くかも分かり、観音様がついてある様です。

先生

観音様が言う通りにすればいいので自信をもって治療ができ、有り難いことだ。それまでの治療は試行錯誤をしながら進むので今よりは確率が低かった。それでもよく治っていたほうだし時々は奇跡的治癒も起き驚いた。

弟子

確かに先生の今までの治験例は奇跡としか言いようがないものが多いです。先生自身が驚かれたのは凄いです。

先生

観音様が助けてくれていたとしか思えない部分がある。ただ観音様は私より厳しい方だから最初に話した人間になっていない人には恩恵はないし、下手したら罰を与えられる。ただ拝めばいいのではなく人間になるのだ。

弟子

よく分かりました。ただ自分のお願いだけしてもだめだということですね。先生の話を聞いても意識や生活を改善しようという気持がない人は治るのは無理ですね。釈迦が言われた因果応報はまさしくこれです。

先生

なるほど確かにそうだ。その人の運命は最初から大体決まっている。悪い所をどうにか切り抜けて行くのが大事だ。そこで人のせい、電磁波のせい、ありもしない霊障のせい等にせず迷路から抜け出すのだ。

弟子

でも見ていて、来られる方で本人にその気がない人が多いですね。おしりを蹴っ飛ばしたくなります。(笑い)

先生

そうだろう。それをじっと我慢して相手の改心を待つのだ。それでもだめなら諦めたがよい。

弟子

これを読まれている方皆様が考えることですが、念力というのは誰にでもあるのでしょうか?

先生

あるが念力の門が開かずに皆さんは一生を終わる。ヨーガや仏教で無我の境地に達すればそれなりの門が開く。それなりというのは悟道に達しても各人各様の念力の種類があるからだ。それまでの経験情報により異なる。

弟子

分かりました。先生は治療をずっと続けておられたからその分野での念力が開発されたのですね。

先生

これは不思議なことだが本当だ。そして今生きている自分に重なってもう一つの世界があることに気がついた。それがイメージの世界=仮想空間=夢の世界だ。起きたまま見る夢の世界で相手に対してしたことが現実界でも起きているという映画みたいな世界がある。夢の世界には観音菩薩もいて私の質問に答えてくださる。また私の治療だけでは無理な場合は補助して頂ける。もう一つの仕事=遠隔治療は観音菩薩に頼ることが多い。