超能力と観音堂念力の違い

2010年9月分

記者

先生の念力治療は超能力の一種ですが、気功や十字式健康法、宗教の手かざしとの違いを説明してください。

先生

まず気功との違い。気功は手からのパワーが中心。観音堂念力は眉間からのパワーが中心。眉間からのパワーは観音力といい、眉間から直接相手の体や脳に発射する場合と、指先にそのパワーを移動集中して出す場合がある。眉間からの場合は当然相手から離れて出す。指先からの場合は相手から離れても、触れてもできる。

記者

それでは次に十字式の念力脊椎矯正法との違いをお願いします。十字式はキリスト教系宗教法人ですが?

先生

十字式も私も脊椎を念力で矯正するところは同じだ。ただ十字式はずれた背骨そのものを念力で矯正しているように思う。私の場合は他のエネルギーポイントに念を送って背骨を矯正する。十字式はズーと言いながら集中して念を出すが、私は普通に相手と笑いながら話し、またラーと歌いながらリラックスした状態で念を出す。

記者

なるほど面白い違いですね。先生は十字式をライバルとして、超能力の中では唯一認めてありますね。では宗教系の手かざしとの違いはどのような点でしょうか?差し障りがない程度に説明をお願いします。

先生

私は宗教を好きでも嫌いでもない。自分の好きなように選び、信ずればよい。宗教自体が人間が作ったものだからそこでの癒しのパワーは私のものと同種と思う。私は観音力と言いさらっとしているが、宗教はもっと演出が大掛かりだ。一概に否定するものではないが笑いをこらえて見ている。それで治らない時は私の許へどうぞ。

記者

かなりきわどいお答えでしたが、何でも自由に存在し、その中から好きなものを選べばよいというアドバイスですね。何でもありの世界で「正しい知識を持て」というのが釈迦の箴言でしたね。

先生

そうだ。治療界で言えば、治せるものが正しい。説明は上手、だけど治らないより、私のように説明はあまりしない、でも治る方がいい。(笑い)よく患者さんから「説明をしてください」と言われるが、念力をどう説明する?

記者

確かに先生のことを「凄い先生よ」と聞いてきた方や、難病で苦しんである方にとっては観音堂念力すなわち観音力は頼もしく、ありがたいものでしょうが、肩こりや腰痛で来た方にはちょっと重いでしょうね。

先生

超能力というものは殆どがインチキなので、そんなものは信じないほうが利口だ。電気製品メーカーのSONYが少し前に数年間数億円の費用をかけて、超能力の研究をしていた。しかし、自称超能力者の中に検証に耐えるほんものは一人もいなかった。それは当然な結果だと思った。私も私以外の特殊能力者の存在は確認できない。

記者

先生は大体超能力が嫌いですね。インチキばかりだといつも話してあります。先生は操体法、長生整体術、正体術、澤田流灸を学ばれた。その後テリー&伊藤のハンドトリートメントを触らず念力で10秒で済ます法を発明。独自発明のオーラ、チャクラ回転法。増永静人式12経絡指圧虚実補しゃを念力で触らず10秒で済ます法を発明。治療師の目の玉が飛び出す超弩級の発明発見をされた。その土台の上に築かれた念力だから桁違いです。

先生

そう褒められても誰も理解できず、当然評価できる能力者も存在しないが、自分で十分満足している。さらにこの研究を始めて30年だが、2年前念力について重大な発見をし、大転換期を迎えた。これから一躍進歩する。

記者

そういうことを教えるスクールを開設されていますが、2年前までのスクールとはかなり違う内容ですね。2年前まではあまり念力というものが無かったと思います。2年前までのスクールも凄い内容でしたが・・・。

先生

今のスクールは教えるのをやめようかというほどの内容だ。受けたい方は早く決心しないと一時休止するかもしれない。この内容を理解でき、実践できるようになると人助けの菩薩が続々誕生する。悪用を心配している。

記者

その能力を使って超能力者として売り出したり、教祖になって金集めをしたり、良くない輩が出ます。

先生

それを防ぐ為に、素直で正直で、人を救うために死ぬまで働く人にのみ入学許可を出そう。

記者

でもそんな人はめったにいませんよ。(笑い)先生のスクールは難しいと評判ですから大丈夫。成就者は限られてきます。今は個人指導ですから、その人のレベルに合わせられ、以前より分かりやすくなっています。

先生

釈迦も言われた「人に応じて法を説く」と。その人なりの理解ができれば、生涯役立つ知識となるであろう。

記者

話は変わりますが、他所の遠隔治療で面白いのがありました。電話でするのですが、少し話した後は相手に患部に受話器を当てるようにさせるものです。先生の遠隔治療はお願いを受けた瞬間に効果が行ってますし、依頼者が子で親に対する遠隔治療の依頼の場合、親は先生が遠隔治療をしていることは知りませんね。

先生

相手が私の遠隔治療を知らない場合でも効果は同じだ。これは念力というより本当の観音力と言える。その人を眉間のスクリーンに想い浮かべ、治療をする。それはテクニックの部分より、助けようという祈りの面が大きい。その時私の中の観音菩薩と共に祈る。自力だけでなく自然の法則にゆだねる心が大事である。

記者

観音堂と言われる意味がよく分かります。人助け、治療は必ずしも思うようにはいかない場合がありますね。ただその人を救ってあげたいという気持ち、慈悲心が大切であり、結果は祈る気持ちで待つしかないですね。

先生

いつも言うだろう。その人の苦しみは何かを悟らせる為に起きている。それを治してあげるのはいいが、その人がその苦しみの因果を悟らなければ治療は無駄だ。それを悟らせることが私の重要な役目である。