奇跡的治癒が起きる時

2009年8月分

記者

先生は筋肉関節等の運動器系の障害と内臓系の障害は「根本的には同じ原因である」といつも言われてますが?

先生

それは筋肉を動かす運動神経も内臓を支配する自律神経も同じ脳神経グループだから。すなわち脳神経系が筋肉も内臓も支配する。また体全体を制御するコンピューターである三位一体の神経系と免疫系とホルモン系も脳神経が支配する。さて東洋医学では脳を支配するのは腎だ。だから私は貴方達にいつも「すべて腎が悪い」と言うだろう。

記者

はいはい、もうとっくに耳にたこができています。(笑い)それではどの場合でも腎を治すことが一番重要な治療ですね。

先生

であるが腎に効く薬はない。漢方薬にも病院の薬にもない。東洋医学では腎を治すには補腎薬は効き目は弱く、鍼より灸が効く。だから治り難い症状病気には灸か温灸が必要だ。治り難い症状病気は殆ど腎の働きがが悪い。

記者

でも「温灸だけでは治すのは難しい」と、以前先生は言われてましたね。それはどうしてですか?

先生

温灸だけの治療であれば何十日も毎日続けてする必要がある。幸い私の治療は温灸は補助的役割だから毎日しなくても大丈夫だ。私が考える痛みや病気の根本原因は腎が悪いこと。そして脳神経情報の異常が腎を悪くしていることを発見した。さらに脳神経情報が異常信号の時は筋肉が必要以上に緊張しているのに気がついた。

記者

筋肉の緊張は脳神経情報の異常ですか。筋肉の緊張は凝りのことですね。一般に肩凝りは緊張したからとか、眼が疲れたからとか思われていますね。日常の運動や労働でも肩が凝ったり、腰が痛くなったりしますが、休日に何もせずに昼まで寝て、ぐうたらしていても体中が凝り、硬くなりますね。ゆっくり休養しているのに、これはなぜでしょうか?

先生

筋肉を使いすぎて過労になっても凝る。もう一方の何もしなくても凝るのは自律神経の異常だ。

記者

では自律神経の異常はどうして起きるのでしょうか?やはりストレスからでしょうか?

先生

一般にストレスという言葉は精神的な苦悩を指す様だが、それは一部正しい。ここでは五感への嫌な刺激と考えよう。例えば①嫌なものを見る。②嫌な音、話を聞く。③嫌なにおいをかぐ。④嫌いな物を飲む、食べる。⑤嫌なものにふれる、さわられる。などは嫌な感じとして体が拒否反応を起こす。その状態が脚振りダウジングが硬い状態。

記者

では先生は嫌なことはせず、自由気ままに生きてありますから柔らかいでしょう。(笑い)

先生

いやいや苦労が多くてすぐ体が硬くなるから、いつもヨガをして柔らかくもどしているのだ。私の場合は五感が人より敏感なので嫌な感じも多いのだろう。特に人間のわがまま勝手、傲慢、横着、我先にと人を押しのける、少しで満足せずたくさん求める強欲など。いつも言うようにまともな人は100人中1人しかいない。

記者

先生の基準は厳しいですね。先生はよく言われています。「私が神であれば100人中1人しか天国に入れぬ」と。

先生

よかったね。私が神様でなくて。(笑い)ただ私の治療を受けられる時は先程の良くない態度は慎まれた方がいい。私の治療力の根源は温灸でもハンドヒーリングでも操法でもない。その人を助けてあげようという観音力である。その力は私に嫌な感じを与えた人には使えない。その力が無ければ私は単なる治療師で奇跡的治癒は起きない。

記者

先生はよく言われますね。「東洋医学で治る限界を超えた症状病気が治った時、それは私にとっても奇跡なのだ」と。例えばアユやジョージの難聴が治ったら現代医学でも東洋医学でも奇跡ですね。先生は難聴を普通に治してありますが、やはり腎臓の働きをよくする治療ですか?腎が耳を支配するわけですから。

先生

東洋医学的にはその通り。では日本一の鍼灸師や中国一の鍼灸、漢方、気功師が難聴を治せるかな?

記者

その先生達が治せるならとっくに治療を受けに行っているでしょう。(笑い)世の中は不思議なものですね。今度首の手術を受けるミュージシャンも、同じような症状の人を先生はさっさと治していますね。(笑い)

先生

まあ来るまで待とうホトトギス。私が治したいわけではない。悩み苦しんでいる人達が「観音堂先生お願いします」と頭を下げて来た時に治す。そしてその時に先程話したような傲慢な態度では治しようがない。私の中の観音菩薩が働かない。貴方達にそっと言っておく。演技でもいいから私の前ではいい子になりなさい。

記者

それは大事ですね。奇跡的治癒が起きた例を見てみますと、あまりにもかわいそうな人が多いです。先生が是非助けようと思われた乳幼児。また100人中の1人に当たる、人がよすぎる大人。

先生

奇跡的治癒は時々起きるが、たまに間違って嫌な人に起きている場合がある。それは治った後でそう感じた。そんな時は早くそのことを忘れてしまい、もう私とは縁がない人となる。

記者

先生は治療のテクニックも素晴らしいですが、単なる名治療家ではないです。どうしてそういう状態になったかを相手に悟らせ、これからの生活に眼を開かせようとしてあります。

先生

治療はいくらしてもきりが無い。助けてあげても、同じ人がまた同じ穴に落ち込む。穴に落ちたことをよき教訓として、反省し受け入れ、これからの生き方を少しでも良い方向に向けるようにすべきだ。

記者

先生が観音堂と名乗られている意味が良く分かります。観音堂は治療所の名称ではなく、先生自身です。そして悩み苦しむ人達を救い、これから先の道案内をされるのが役目です。

先生

治療は観音堂への入口だ。そこで何かを学び、得る物があればこれからの人生に大いに役立つだろう。