天使の輪っかは本当にある!

2009年4月分

記者

先生が治療の最後に患者さんの頭の上で円を描いてありますが、あれはチャクラを活性化してあるのですか?

先生

それは第7チャクラ、サハスーラチャクラだ。そこがよく働くようになると、仏教では後光が射し、キリスト教では天使の頭上に在る白い輪として見える。また一般的にはサハスーラチャクラは紫色になっているが、私が見たところ、その色は金色だ。仏像が金色なのも悪趣味ではなく、自然の色だ。ただし仏像は人形でしかない。仏とは悟りを開き仏道を成就した生きた人間を指す。死んだら無になり空になりすべて無くなる。

記者

そのことは先生は以前から繰り返し述べてありますね。私も仏教、釈迦のことを色々学問的に調べてみましたが、先生の言われるとおりです。釈迦は死ねば霊魂は残らないとはっきり説いていますね。生きた人を導くのが釈迦の役目です。釈迦の入滅後誰かが教えに反し、違うことを言い出したのでしょう。

先生

釈迦が説かれた教えの中でも、死後の世界は無いという事は一番大切である。釈迦はインドのある地方の王子として生まれられた。インドはその時も今もヒンズー教が殆どを占めている。そして仏教はヒンズー教の一派として考えられている。日本の仏教は私見だが殆どヒンズー教だ。なぜなら死後の世界さらには輪廻転生もありそうだ。また日本は神仏混合なので、七福神も有難がるがそれは完全にヒンズーの神様だ。ヨガではシバ神を祭るが、シバ神が日本に大黒様として来ているではないか。

記者

でもシバ神はインドの神様の中で一番ハンサムな方ですが、大黒天は肥満体おじさんです。(笑い)

先生

そうだな。中国を渡って日本に来る間に食べ過ぎたのかな。(笑い)ヒンズー教は多神教だから弁天みたいな女神もいる。反面、仏教では悟りを開くのは男に限られるから、悟りの段階を示す、如来や菩薩に女はなれない。中国や日本では観音菩薩に女みたいのがいるが完全に間違いである。女の観音菩薩がいたらそれは仏教ではない。釈迦の教えに反した邪教である。

記者

世の中はすべてそういう調子でできている気がします。何でもうやむや、長いものには巻かれろでしたか?

先生

仏教の信者なら釈迦の言われたことを信じなさい。キリスト教の信者ならジーザスの言われたことを信じなさい。現代の宗教は創始者が言われたことと、かなり違うものになっている。ブッダもジーザスも当然怒っている。

記者

今日は観音堂先生の宗教談話になっていますが、今言われたことは生きていく上で、また死んでいく上で重要なことですね。いかによく生きるかが天から人に与えられた人生の目的、命題でしょう。

先生

人は当然死ぬまで生きるのだが、どう生きるかが問題である。人生の長い短いは大きな問題ではなく、また死んでからの事を心配する必要はない。まず自分をコントロールでき、他人のことも考えてあげる。そして自然の中でのちっぽけな自分の存在を考える。そうすれば自然に感謝の気持ちが湧き、自然を大切にする。

記者

自分をコントロールするためにヨガがあるのですね。ヨガは4000年前からあるヒンズー教の修行法ですね。

先生

それを達磨大使が中国で少林寺を開き教えた。少林寺では動禅である少林寺拳法と静禅である座禅を教えた。なぜか日本に伝わった禅宗は静禅のみ。これでは仏道を成就できず、悟りは遠い。一方空海が持ち帰った真言密教はかなりヨガに近い。ただ神秘主義、儀式化し過ぎて、護摩を焚いたりの我慢大会。

記者

手厳しいですね。ああいう清原や金本がやった護摩修行は意味がないですか?

先生

無意味だ。寒い時に滝に打たれたり、何日も飲食を断ってふらふらになったり無駄なことだ。そういう人こそヨガをすべきだ。そうしたら超人的な体力と気力を得ることになる。釈迦は難行苦行は無駄だと悟られ、難行苦行をやめ、スジャータが差し出した乳粥、醍醐を食され、その後河で沐浴され、菩提樹の下で悟りを開かれた。

記者

その故事を知ってか知らずか、いつの世も人に見せるパフォーマンスの行を行う人達ばかりですね。

先生

ヨガは悟りを得る修行法であり、また超能力開発法である。でも人にあまり見せびらかすものではない。それに正しいことにその能力を使わなければ、せっかく得たものを無くすことになる。

記者

そうでしたか。癒しの能力を持っても、金儲けに走ったり、有名病にかかったら元も子もなくなるのですね。

先生

欲張りは自分のものを無くすのを恐れ、かえって大事なものをすべてを失う。必要な分だけ感謝して頂いていれば、失うことを恐れる必要もない。

記者

以前読んだがいいよと言われた、森鴎外の「高瀬舟」の世界ですね。小欲業を制すですね。(笑い)

先生

そう満ち足りる事を知れば幸せである。限りない欲望を持つ人は一生不幸である。治療を受けた方でも随分治っているのに不平不満がある人がいる。少し治っただけでも感謝感激の人もいる。さてさて私の観音様はどちらをさらに治してあげるかな?

記者

当然感謝の人ですね。先生の話は急に現実的になるから怖いですね。治療を受けられる方も耳が痛いですよ。先生はその人を治してあげようという気持ちが主体の治療家ですから受ける側は態度が大事ですね。

先生

私がその人の天使の輪っかをゆっくり廻している時、私は当然中年天使になりきっている。(笑い)その時受ける人も素直な人にならなくてはいけない。そうしないと波長が合わず、折角のプレゼントが受けられない。