私に起きた奇蹟その2

2000年2月分

記者

それからはどうされたのですか?

先生

学校を卒業して、世田谷のザ・スポーツコネクションという日本一豪華なスポーツクラブに、私の教室を開かせてくれと押しかけた(笑)

記者

それでどうなったのですか?

先生

オーディションをしようということになった。そこは四千坪の敷地、八千人の会員、入会時80万円いる大きな所だ。社員も100名位いて、そのうち30人位の出席を得て私のデモンストレーションを見てもらった。

記者

すごい高級なクラブですね。TVのロケにもよく使われる所でしょう?芸能人も多いという。

先生

そうだな。金のある人が集まっていた。さてその30人の社員の中で、支配人が腰痛、営業の課長が寝違えだったので、一人3分づつでさっと治した。

記者

3分で治せたのですか?

先生

当時は今の能力の30%しかなかったが、なぜか治せた。あまりに見事な技だったので、見てた28人は「さくらだ!」とざわめいた(笑)!

記者

さくらを使ったと思われる位、凄かったのですね。すぐオーディションは合格ですね(笑)。

先生

その後、重役会議で検討され、三ヶ月後位にやっと採用された。そしてスポーツコネクションで週2回、操体ヨガクラスをすることになった。さらに人気がありすぎて三ヶ月で週7回のクラスを持つことになった(笑)。

記者

大人気ですね!クラスの生徒さんはどんな人達が多かったのですか?

先生

スポーツコネクションの養老院と言われていた(笑)。

記者

中年以降の人が多かったのですね(笑)。

先生

医師、大学教授、弁護士、会社重役と偉い人が多かった。私のファンクラブができたが会長は電通取締役の奥様だった(笑)。

記者

順調過ぎて怖い位ですね?そこは何年位おられたのですか?

先生

半年でクビになった。そこの社長が常々、タナカ君カリスマになるなよと言っていたが、やはりカリスマになった(笑)。スポーツコネクションはエアロビクスを日本で最初に導入した所だったが、私から見るとエアロビクスはひどい運動で体に悪いと、クラスで大声で説いていた。

記者

それはクビになりますね(笑)。でもその後、先生が言われたとおり、エアロビクスは疲労骨折の問題や、活性酸素が増えて老化を早めガンになりやすいことが発表されましたね。先生はそこを辞められてから久留米にもどられたのですか?

先生

いやまだまだ(笑)。今度は赤坂TBS正面のビルで治療を始めた。

記者

ご自分で開業されたのですか?

先生

いや雇われの身だ。そこは又怪しい所で(笑)超能力者が三人集まっていた。手からパワーを出して病気を治すというフレコミだ。

記者

先生は今度はカリスマから超能力者になったのですか(笑)。

先生

私は当時、超能力者が大嫌いで、超能力否定派だった。そこで私は正統派と称していたが(笑)その三人の超能力者より私が一番治せることが、私にも患者さんにもすぐ分かった。そしてさらに東京の超能力者を見学調査して、気功も含め、殆どインチキと見破った(笑)。

記者

東京にもやはり本物の超能力者はいなかったのですか?

先生

私の知る限り、当時も今もいない。私を除いては(笑)。

記者

どうして先生だけは本物の超能力者なのですか?超能力否定論者なのに。

先生

超能力を否定して色々と研究分析した結果、最後に残った私が超能力者だった(笑)。

記者

超能力を否定し嫌っていたのに、実は自分が超能力者だったという不思議な運命ですね。

先生

否定していたからこそ真実を見る目があった。甘い分析でなく、厳しい分析の結果、どうしても特異能力の実在を認めざるを得なかった。中国では私みたいな人間を特異能力者という。

記者

よく分かりました。先生が三人の超能力者より良く病気を治せたわけが。でも先生は正統派だったわけですから、東洋医学も得意ですね。

先生

東洋医学でも整体や温灸が得意だ。それプラス特異能力があるから鬼に金棒なのだ(笑)。

記者

そこが大事な所ですね。普通の自称超能力者は東洋医学の基礎もないし、もちろん西洋医学の知識も少ない危険な詐欺師ですね。先生にとって、あんなに超能力者を嫌っていたのに、実は自分こそが生まれながらの特異能力者だったというのが、三つ目の奇蹟ですね。

先生

特異能力者にはイバラの道が待っている(笑)。

記者

世間からは白い目で見られ、敬遠されますね。

先生

世の殆どの超能力者達がインチキペテン師なので、私も同じように見られる。毛利少年やサイババやアンデルセンのマスター達は世を惑わすペテン師だ。

記者

ところで赤坂TBS前の仕事はその後どうでしたか?

先生

そこも長くは続かなかった(笑)。三人の超能力者をクビにして私がリーダーになったので自由にはできたが、月800万かせげというノルマは達成できなかった。

記者

800万も。いくら位かせがれたのですか?

先生

半分だ。そこの経営者は福田元総理の元秘書で、ゴルフ場を当時15位持っていた。今はつぶれたろうが(笑)。彼に私は気に入られたが、経営方針の違いが大きかった。彼はプラズマ健康器というインチキ商品を売って、売上を伸ばそうという考え。私は私の力で患者さんを治したいという考え。プラズマ健康器は原価三千円のを五万位で売っていた(笑)。健康器、治療器、健康食品とかは原価の10倍で売るのが常識だが(笑)私はそんな商売は嫌いだ。

記者

それは社長とは合いませんね。でもその治療所に来てたメンバーはすごい人達だったそうですね。

先生

社長が所有してたゴルフ場が高級で法人会員権五千万位だった。芸能人やスポーツ選手は入れないゴルフ場だった。有名な政治家や東証一部上場の社長重役達が、TBSの前に運転手つきベンツを待たせて私の治療を受けに来た。

記者

その人達を治療してどうでしたか?

先生

彼らは他の有名な治療院、例えば日本一の鍼とか整体の治療を受けたことがあるから楽しかった。

記者

なぜ楽しかったのですか?

先生

私の治療の価値が分かる。他の治療院で治らなかった症状を私が治せば、私を見る目が違う。私に対して大社長が頭を下げて対した。そして自分は楽になったのでこんどは娘の病気を治して下さいと頭を下げる。

記者

やはり偉い人は違いますね。久留米に帰って来られてからはどうですか?

先生

偉い人がいない(笑)。だから私の価値も分からんだろう。

記者

名人は名人を知るということですか(笑)。赤坂で治療しておられた頃は、治療の経験はどの位でしたか?

先生

プロとしてはゼロ(笑)。アマとしては三年位かな。学校を出て免許をとったばかりの新米としては奇蹟的活躍かな(笑)。だから私は奇蹟の治療師なのだ。誰かが私の治療を助けてくれているとしか思えない。神様かな(笑)。とにかくその当時は本で学んだ操体法、正体術しかできなかった。今は温灸もハンドヒーリング(気功)もできる。なぜあんなに治せたのか今も謎だ(笑)。